阪神タイガースの名選手を振り返っていきたいと思います。
まず、最初は前監督である金本知憲 第四回です。
2つの世界記録更新(2007年)
2003年に阪神に来られ、2003年、05年のリーグ優勝を、常勝軍団を牽引されたといっても過言ではないぐらい、ファンにとっても神様ともいえる存在でした。
その迎えた2006年は、金本個人の努力の成果が、世界を驚かせます。
3月31日には、カル・リプケンの持つ連続イニング出場 8,243イニング。
4月9日には、同じくリプケンの持つ連続試合フルイニング出場 904試合という二つの世界記録を更新するのである。
昨年の負傷しながら片手で安打の記憶も新しく、『鉄人』が世界に知らしめることとなった。
この年、打撃成績は、前年から落ちるものの当然連続記録は更新しつづけ、オフには、推定年棒5億5千万円と日本人選手トップで契約更改している。
2007年はシーズン中に左ひざ半月板損傷の大けがを負いながらも強行出場を続けた。
思い切り走れない影響か、打率は2割6分5厘と4年振りの3割を下回るも、本塁打は31本、95打点と、主砲としては、申し分のない結果を残した。
若い選手に喝!
この年のエピソードとしては、7月8日中日戦での出来事があげられる。
一死満塁で金本が放った安打につき、2塁走者鳥谷敬の走塁につき、苦言を呈するのである。
これは鳥谷だけでなく、若く走力のある選手に一つでも前の塁をもぎ取ろうというアグレッシブが感じられないチームに対して、気合を注入するエピソードである。
ケガに負けずに活躍(2008年)
この年、オフの10月には左ひざにメスを入れることとなり、そのリハビリから、2008年シーズンが始まることとなる。
この左ひざのリハビリの為、2月のキャンプ合流は遅れるものの、開幕には間に合わせるところは、さすがに意識の高い選手である。
4月12日には、通算2000本安打を記録。
史上37人目であるが、1999本目から19打席目という、リーチをかけてから達成までの歴代最長という記録を更新した。
この年は、広島の後輩、新井貴浩がFAで阪神タイガースに合流。
前半はコンビでチームを引っ張り、金本自身は、交流戦で首位打者、6月に月間MVP。
最終的にも打率3割、打点100をオーバーし、一年を通して活躍した。
40を超えても選手として活躍(2009年)
さらにオフにヒザにメスをいれ、迎えた2009年。
オープン戦はほとんど出場できずで、心配する周囲の声をよそに、早速、開幕戦4月3日で本塁打を放つ。
この日、41歳の誕生日を迎えた金本。
開幕戦本塁打のリーグ最年長記録となった。
4月は月間2度の三打席連続本塁打を含み、自己最多の月間30打点を記録し、自身4度目の月間MVPに選出された。
しかし、5月以降は低迷し、打率2割6分1厘、本塁打21本と移籍後ワーストの記録となった。
怪我を負いながら、連続試合、フルイニングという記録を継続で、チームの意識を引っ張る金本には、やはり将来のリーダ(監督)への期待がファンの中には生まれていくのであった。