阪神タイガースの名選手を振り返っていきたいと思います。
まず、最初は前監督である金本知憲 です。
金本知憲の愛称、実績
この金本監督の現役時代の愛称は、 鉄人 でした。
その鉄人と言われるゆえんは、連続出場の実績です。
世界記録となっているのは、
連続試合フルイニング出場 1,942試合
連続イニング出場 13,686イニング
⇒1999年7月21日~2010年4月17日まで
日本記録となっているのは、
連続4番先発出場 880試合
⇒2004年4月2日~2010年4月17日まで
怪我もありつつ、4番として試合に出続けることで
チームの他のメンバーにも気合を注入するというのが
プレーヤー時代の金本知憲選手でした。
その周囲への影響力が監督としての活かせられるか?
これを多くの方が注目しているポイントです。
他にも日本記録を保有せれています。
連続打席無併殺打 1,002打席
⇒2000年5月12日~2001年9月28日
40代での代打本塁打 5本
併殺打は、4番として主軸を任される前にチーム打撃に達した結果と言えますし、40代の代打の記録は、記録が途切れても、選手としてのピークに達していたとしても、チームの勝利に徹するという姿勢から成し遂げられたと
言えそうですね。
プロ入り前①:大学進学に苦難が。。
この金本さんも、人生としては順風万端だったとは言えない。
特に野球選手として活躍し始める大学入学までの少年金本は精神的にもつらいことが多かったことが伺えます。
・1968年4月、広島で生まれの韓国系。日本人3世で2001年の結婚時に帰化。
・小4でリトルリーグで野球を始めるが、練習についていけず、怪我もあり、退部。
⇒小中はソフトボールや軟式野球をしていた。
・高校は志望校の広島高校に落ちて、広陵高校に入学し、硬式野球部に入部する。
⇒レギュラーは獲得するが、甲子園出場はない。
・高校卒業後の進路に巡っては、迷走の上、一浪、一般受験で東北福祉大学に入学。
⇒広陵高校野球部監督に騙されたと言われているが、高三時、法政大学のセレクションを受けるつもりが、受験タイミングを逸し、浪人へ。
次年度に、中央大学のセレクションを受けようとするが、広陵の監督は自分の推薦だから大丈夫と言われていたが、結局、浪人は権利がなく、受験できず、、プロ球団の入団テストを受けたりもしたが、不合格に。
ここで野球を諦めてしまっていたら、世界記録も保有するプロ野球選手であり、阪神タイガースの第33代監督である野球人の金本知憲の誕生がしていなかったことを考えると、人生諦めないことの大切さを非常に痛感します。
プロ入り②:人生の転機の大学時代
この苦労の末、たどり着いたのは東北福祉大学。
ここにたどり着くまでの苦労で、大人への不信が強まっていたことが容易に想像つくが、後に、恩師として慕う東北福祉大学野球部監督伊藤義博との出会いで人生が一変する。
金本は1年生からチームのレギュラーとなり、仙台六大学リーグで打率3割8分2厘、最優秀選手1回、ベストナイン2回受賞するなど、活躍する。
また、チームも、佐々木主浩・大塚孝二・矢野輝弘・斎藤隆・浜名千広ら後にプロでも活躍する選手で構成され、4年連続で全日本大学野球選手権大会に出場。
1年から、準優勝、3回戦敗退、準優勝を経て、4年時に念願の初優勝を獲得する。
この試合は左手首を剥離骨折していながら、延長17回に勝ち越し2点適時打を放ち、この優勝の立役者となった。
そして、迎えた1991年秋のドラフト会議で広島東洋カープの4位指名で、プロ野球選手としての道を歩むこととなるのである。